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道三と義龍の仲。。。
皆の衆、御疲れさんじゃ。

週末は大寒波が日ノ本を覆うと聞くが、寒さ対策は出来ておるか?
儂は・・・暖の燃料を大量に用意いたしておいたw
これは、己の為でもあるが、モコ之進の為が8割!ww
寒さ、暑さに弱いモコ之進は、適度な温度環境では無いと直ぐに泣いたり、バテてしまうのじゃ。。。
ほんに、世話のかかる弟である。

さて、たまには儂にちなんだ話を考えようではないか。

1556年、儂は息子義龍との戦に敗れ、この世を去る。
義龍を廃嫡にし、美濃の実権をもう一度手に致そうとした為・・・とも、孫四郎か喜平次を溺愛しておった・・・とも。
とにかく、義龍の事を廃嫡に致そうとした考えによって、この世を去る事になった。

では、何故義龍の事を廃嫡に致そうとしたのか?

先に話をした、美濃の実権をもう一度自分の手に戻そうとした・・・これは、大いに考えられる。
戦国期の儂は、美濃を手に入れる為、卑劣極まり無いやり方により、敵を多く作りすぎ、追放した土岐兄弟を保護した朝倉と織田家に、何度か美濃国への侵攻を許し、戦続きであった。
有力な重臣達は、美濃の安寧の為、強制的に儂を隠居させ、義龍に家督を継がせる・・・。
もしくは、1553年の正徳寺にて織田信長との会見後、「我が子たちは、信長の門前に馬をつなぐようになる」と申した故・・・。

道三は、正徳寺の会見の後に美濃国盗りを平定しており、義龍を本当に嫌っておった・・・かどうかは微妙である。
義龍の噂である土岐頼芸の子・・と言うのは、江戸時代に創られた話であり、義龍は道三の子に間違い無いのである。
義龍は巨漢であったが、本を読むのが好きであり、温厚な内気な性格であったらしい。
もしかしたら、その性格が儂は好かなかったのやもしれぬ・・な。

さて、話を前に戻すと致す。
美濃平定後に家督を譲っており、道三は義龍の後ろ盾となり、織田信長と日ノ本一統を目指そうと致したのではないか?
だが、その目論見を邪魔致す者がおったとしたら??

義龍の謀反を、叔父である長井道利が後押しした説がある。
長井道利は儂の弟だが、一説では儂の若い頃の子供・・・という説もある。
もし、道利が儂の子であるならば、義龍の兄であり、家督を譲られるのは道利である。
道三に遠ざけられた道利が逆恨みを致し、義龍を上手く丸め込んだとしたら。。。

戦国期では、正室の長男が嫡男であり、側室の子は庶子になり、嫡男が生まれた折は、年上でも庶子が継ぐのでは無く、嫡男が継ぐものである。
儂の嫡男は義龍ではなく、正室小見の方から生まれた孫四郎であり、義龍に家督を譲った時には、孫四郎も青年に差し掛かる年頃であった。

上記から考えると、廃嫡に致そうとした裏には、何かが隠れておるような気も致す。

今の儂には、当時の記憶が乏しい故確固たる証拠は無いが、皆で思い考えてみてくれのぅ!
斎藤道三 | 皆で語り合おう | comments(2) | trackbacks(0) |
次回の「岐阜城盛り上げ隊」は・・・1月20日(日)じゃ!
皆の衆、元気であるか?
例年より寒さを厳しく感じるのであるが。。。気のせいかのぅ??
それとも、儂が歳を重ねたからであろぅか?
いや!例年より寒いのじゃ。。。きっと!!w

さて、2013年を迎えてから、早半月が経ち申した。
儂等「岐阜城盛り上げ隊」も元日に参陣した以来、各々の諸事にて中々皆と会えなんだが、今週末の1月20日(日)に参陣致す所存じゃ。
この日は、諸将と軍議がある為、午前10時から午後12時半までの参陣となり申す。
場所は二の丸址にて、皆様を御待ちしております!

参陣武将は
斎藤道三
斎藤義龍
明智光秀
安藤守就
小助
各務野

氏家ト全(調整中)
竹中半兵衛(調整中)

である!

皆の「岐阜城」への参陣、待っておるぞ”(*>ω<)o"

斎藤道三 | 皆で語り合おう | comments(2) | trackbacks(0) |
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